わたしのたべかた

とるにたらないこととくだらないこと。

小説「ピンクとグレー」を読んで

いいものをいいと見極められるようになるために、自分のなかの衝動をうまく言葉にできるようになるために、見たもの・触れたもの・感じたものを記していこうと思う。

 

「ピンクとグレー」を読んだのは半月ほど前。

この本を購入した人の八割と同じように、わたしも著者の加藤シゲアキくんに興味をもって手に取った。そもそもNEWSのことを詳しく(といってもメンバーの名前とか、ここ数年の間に彼らになにがあったとかそういうレベルだけれど)知ったのも同じくらい最近のことで、ただ彼が不意に見せる仄暗い顔や真っ直ぐだけれど無表情な目になぜか心底惹かれてしまった。はじめての作家さんの本を購入するときは大抵そうするように短編集を買おうと思っていたけれど文庫化されていないとのことだったので処女作を。

 

突然だけれど、わたしは自分の主観に素直だ。どれだけ見た目が好きでも、人間性が好きでも、芝居が下手ならその俳優が出演しているドラマや映画に興味は持てない。自分が演劇に携わっていた期間があるのも大きいのかもしれないけれど、映画もドラマもアニメも、役者や演出が肌に合わないと観ることができない。だから、「ピンクとグレー」を読んでガッカリしてしまったら嫌だなあと不安があった。それが芝居や歌なら、別に下手でもいい。でも小説を書くことは彼の中で割と大きな部分を占めていると感じたから、それが微妙だったらやっぱり素直に彼の言葉を尊敬のフィルターを通しては聞けないなと。

 

そうして読んだ「ピンクとグレー」。前半は、肌に合わないタイプの文章だなあという印象。"処女作"感が前面に出ていて、本人の葛藤や懸命さがこちらにも伝わってきた。わたしは加藤シゲアキをコンプレックスの人だと思っているから、どうしても本人が重なって見えるなあ、くらいの感触で、りばちゃんの劣等感に共感するなあ、くらいの感じだった。ごっちのお姉ちゃんがコンテンポラリーダンスをやっていたとか、懐かしの地・淵野辺の描写とかにあ~ってなったりとか。

でも、後半はあっという間だった。彼の言葉に慣れてきたのか、彼が言葉に慣れてきたのかはわからないけれど――「あのときサリーがさ、ラブホテルのライターに見えたんだよ」の一言がひどく印象的で、すとんと心に落ちた。そこからぐっと読み進めやすくなった。わたしはどうしてもりばちゃんに心情を重ねてしまっていて、ごっちってわかんないなって、なんだよって気持ちが重たくてたまらなかったけど、不意にごっちがまた手元に戻って来て泣きそうになった。自分の劣等感と嫉妬の醜さは変わらず重たいのに。同時に、一瞬だけごっちがきちんと温度のある人間に見えた気もした。そこからのごっちの美しさ。同じ不器用にしても、ごっちの不器用さは美しい。浪漫があるし、でもやっぱりどこか冷たい。常に虚無を抱えていて、痛覚がなさそうな危うさがある。

総じていうと、想像していたよりもよかった。拙さは感じてしまうけれど、加藤シゲアキらしいし、この小説を書くことは彼にとって大きな挑戦だったということを改めて実感した。

出てくる単語にどうしても本人の匂いを感じるのでどうしても本人のことを考えてしまうのだけど、彼は結構ロマンチストなんだなあとちょっとクスッとした。物語性が強くてあまり現実的ではないけれど、その青さがハマっていた。ごっちの抱える問題や寂しさは今のわたしに直結していて、小さくため息をついてしまいたくなるところもいくつかあった。作品の完成度としては手放しで賞賛できる!と太鼓判を押せるほどではないけれど、青春小説らしく真っ直ぐにこちらの心を抉ってくる感じが好きだなと思った作品でした。